本当にやりたいことがしたい
選んだのは、中卒社長の道。

木村航也 31歳 
株式会社Regal Cast 代表取締役

何のために学ぶのか。考え続けた少年時代

小学生の頃から、何のために勉強するのか疑問がありました。高校に行きたい訳ではなかったけれど、学校の先生に「高校は行った方がいい」「高校に行ってないと自分のやりたいことができないよ」などと勧められ、高校に行きました。
しかし高校生活の中で、「勉強は必要な時に必要な勉強をすれば身につけられる」と感じ、高校で勉強しなくても自分でやりたい時に勉強すればいいと考え、1年で高校を辞めることを決意しました。

高校中退後、バーテンダーに

高校中退後は、現場職や飲食業で働いていました。
当時、カリスマ性を持った憧れの人がいたのですが、その方にお誘いを頂き、17歳の時にバーテンダー兼店長兼オーナーという立場で働かせて頂くことになりました。
その時に感じたことは、人と話すことの難しさです。自分にはまだまだ社会経験が足りないと思いましたし、身につけないといけない力が他にも沢山あるな・・・と学びました。
自宅と職場をひたすらに行き来する生活をしながら、このまま25歳、30歳、40歳と年齢を重ねた時、人生が腐るのではないかという漠然とした不安がありました。

18歳になる直前に、自分が本当にやりたいことは何かと考えました。そこで思ったことは、「飲食店でしっかりと働いてみたい」ということです。
お酒のみを取り扱い、「会話を売る」商売のバーテンダーとは違い、自分にしか作れない料理をご提供したい。そう考えていた時、焼き鳥屋の店長にならないかとお声をかけて頂きました。

焼き鳥屋店長としての日々

18歳で焼き鳥屋の店長を任せて頂きました。
お給料は月に5万円。売り上げ管理やコストなど経営に関わることを教えて頂けたため、お金よりも経験を積むことに集中していました。

その時に現在の妻と出会い、2ヶ月で子供が出来て結婚することになったのですが、結婚をするのに5万円では生活ができないということで、オーナーさんのお取り計らいでお給料を20万円に上げて頂きました。

とはいえ、貯金ができるかというと難しかったので、「時間でお金を稼ぐ」ことを始めます。
1日24時間、時給1000円の仕事をすると、1日24000円稼げます。朝から夕方まで現場職をして夕方から朝まで焼き鳥屋で働くと、1日22〜23時間働くことができると考え、結婚する決意をしてからそのような生活を始めました。

1日23時間労働の結末

もちろん、そんな生活は長くは続きません。 終わりのきっかけとなった出来事は、当て逃げに遭い骨折をして働けなくなってしまったことです。
現場職も焼き鳥屋も腕を使う仕事です。骨折して仕事ができなくなった時に感じたことは、「社会保障の大切さ」です。

当時働いていた所では、社会保険・雇用保険・厚生年金などの基本的な社会保険に加入していませんでした。そのため元気に働いている時は50万円稼いでいても、今回のように仕事ができなくなった時、何の保証もない状態でした。

事故に遭い病院に行くことになりましたが、社会保険に入っていなかったため、保険料がとても高額で途方に暮れてしまったことを覚えています。ひき逃げだったため請求できる相手もおらず、保証の大切さを身に染みて感じました。

そこで初めて社会保証について勉強したのですが、正社員であることはやはり大切なのだと思いました。
ですが、中卒現場上がりで飲食店しか経験したことがない自分は、果たして正社員で雇って頂けるのかという不安がありました。

正社員への高い壁と未来への想い

正社員になろうと決意してからすぐに、ハローワークに通うことにしました。

求人票を探して面接に行き、ありがたいことに内定を頂くことができました。
内定は素直に嬉しかったのですが、中卒であることを馬鹿にされ落とされることが圧倒的に多かったため、就活中は本当に悔しい思いをしました。

こんなにも『働きたい』と願っているのに、中卒で現場上がりの自分には働く場所すらないのか。
そう痛感した時、中卒を集めて会社をすると面白いのではないか。と考え始めます。

自分のように、学歴はなくとも働きたいと強く願っている人を集めれば、強い組織ができるのではないだろうか。

自分で会社をやりたいと最初に思ったのはこの時でした。

携帯ショップでの経験

会社をやろうと決意したのはいいのですが、今は生まれてくる子供や家族の為に、とりあえず働かなければいけない状況です。

私が選んだのは携帯電話のショップ業界。docomoの携帯に注力する部署で働き始めました。

携帯業界に入って思ったことは、働きたいと思って働いている人がとても少ないということです。

ほとんどのスタッフが、売らないといけない・やらなければいけない、などのジレンマにはまっていると感じました。この環境だったら「やりたい、働きたい」と思っている人を集めて何かできるのではないかと考えました。

そこで、『携帯電話のショップに向けた派遣の事業に携わりたい』と代表に直談判しました。
熱い気持ちが伝わったのか、挑戦させて頂けることになりました。

誰かを笑顔にできる喜び

派遣の事業に携わることになりましたが、いざ派遣社員を集めるとなるとどうすればいいかわかりません。

そこでどうしたかと言いますと、何とハローワークにキャッチをしに行ったんです!

以前ハローワークに通っていた時、様々な年代層の人がパソコンに向き合い仕事を探していました。なので、ハローワークに行けば働きたい人が沢山いる、と思ったんですね。

結果は、ものすごく怒られました。今思い返すと当たり前ですよね。

この方法では駄目だと分かり、次はタウンワークなどのサイトで「携帯電話のショップで働きたい人募集」という形で人を集めました。

その時に応募してくれた方の中に、ある一人の男性がいました。
当時パチンコ店で働いていたその男性は、『彼女と結婚をしようと考えているが、彼女のお父さんに、パチンコ屋の店員に娘をやれるか。と言われてしまいました。自分を変えたくて、違う職種で働いてみたいと考え応募しました。』と、真摯にお話してくれました。

この方のためにできることをしたい、そう強く思いました。
そこで、当時働いていた携帯電話ショップに、『新しく派遣業を始めこういう方がいるのですが、会ってみていただけませんか?』とお話をしました。

結果、面接をして頂きその男性は無事に内定をもらうことができました。

半年くらい経った後、その男性と食事に行く機会がありました。
その際に、「この仕事に出会えてよかったです。やりがいもあるし、勉強にもなる。何より彼女のお父さんから結婚も許してもらえました。本当にありがとうございます。」と言ってもらえました。
すごく感動して、この仕事ってめちゃくちゃ良いな・・・と感じました。

そこからは、まず今後3年間の目標を立てました。がむしゃらに頑張った結果、その目標は2年で達成することができました。
そして更なる挑戦をしようと、『次はもっと大きなことがしたいです!』と上司に伝えました。

25歳。起業を決意

『もっと大きなことがしたい。』
そう上司に相談した私ですが、上司からの答えは『それはこの会社ではできない。』でした。

当時勤めていた会社は、上場している会社の子会社でした。そのような大きな会社では、社長が決裁権を持っているわけではないということを知ります。

人と企業の中間に立ってお力添えができるこの仕事で、自分がやりたいことを思いっきりやりたい。
こうして私は、25歳で起業することを決意しました。

天狗になりながらもがむしゃらな日々

企業後約半年くらいは、「社長だから」と天狗になっていたように思います。

友達には、「いずれ自分は学校を作りたいんだ。一緒にやらない?」とよく話していました。勉学を伝える学校ではなく、求職者が自分のやりたいことが仕事にできるというイメージだったのですが、話を聞かされていた友達は『何を言っているんだ』というふうにポカーンとしていましたね。

安定が無くなった日

実は、起業した時にはまだサラリーマンをしていました。子どもが3人いたため、勤めている会社をすぐに辞めるわけにはいかなかったからです。

しかし、ある日会社にバレてしまい、解雇予告通知が届いてしまいます。

家族を養う収入源を失うことは、大きな恐怖を感じました。
起業したての会社一本でやっていけるのか。覚悟が決まらない私に妻は、『あなたが選んだ道なら、私たちは着いていく。やりたいことをやって。』
そう言ってくれました。

そうして私はサラリーマンを辞め、起業した会社一本でやっていく覚悟を決めました。

そして新天地へ。

起業した会社は、会社員だった頃と同じ業種業態です。ですので、元々勤めていた会社に迷惑をかけないようにしないといけないと思いました。

まず一番にエリアを変える必要があると感じ、住み慣れた街を離れ四国に行く決意をします。

全く知らない土地で色々な人と会い、自分の想いを伝えながら、組織は少しずつ大きくなっていきます。
全てが順調で、そろそろ大阪に戻ろうとしているその時でした。

母親が危篤だと、病院から連絡が入ります。

母の死、そして仲間への想い

急いで病院に駆けつけましたが、間に合いませんでした。母の死を目の当たりにして、人はこんなにも突然亡くなってしまうのかと、ただただ呆然としました。

この出来事をきっかけに、家族や一緒に働く仲間に対する向き合い方が変わったと思います。誰かと関わる上で、後悔したくないと思うようになりました。
関わってくれる人に自分が何を伝えられて何を残せるのかを、真剣に考えるようになります。

これから

私は元々、中卒の社会不適合者でした。

もしあのままサラリーマンとして会社に残ったとしても、会社のルールを変えたくなったり、こうした方がいいのにとあれこれ考えていたでしょう。そんな私には、起業という道が一番合っていたのだと感じます。

あなたがこの記事をご覧になられているということは、当時の私と同じように、出口のないトンネルの中にいるのかもしれません。

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